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■ J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲(2015年盤)

2,750円

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J.S.バッハ  ゴルトベルク変奏曲ト長調 BWV988 「長い旅の終わりに出発点に還り着く、そこは初めて出会う場所」(T.S.エリオット) 毎年『バッハ:ゴルトベルク変奏曲』の演奏会を開いている髙橋 望の待望のアルバムです。 アリアに始まり、30の変奏を経て再びアリアに戻るゴルトベルク変奏曲、私にとってはT.S.エリオットの「長い旅の終わりに出発点に還り着く、そこは初めて出会う場所」の一文を思い起こさせます。長い旅のあとめぐりめぐって出発点に戻ってくる。しかしその出発点は今までとは一変した新しい姿を見せてくれる。それは長い旅を通じて私たちの中の何かが変わるからではないかと思います。 ピアノ:髙橋 望(ベーゼンドルファー) 解説:髙橋 望 録音データ:2015年1月 四谷区民ホール レーベル:ACCUSTIKA PPCA-620 発売元:パウ ●新譜月評~レコード芸術2015年9月号 準特選盤 濱田滋郎氏 高橋望はドレスデン国立音大に学び、ドイツ国家演奏家資格を最優秀の成績で取得したというピアニスト。2002年に帰国ののち、故郷の埼玉県秩父市を本拠に演奏活動を続けてきた。とりわけ、彼が「私にとって永遠のテーマであり、その探求は終わりのない旅」だという≪ゴルトベルク変奏曲≫は、彼の演奏活動の核心をなすものであるらしい。当ディスクは本年(2015年)1月31日、彼が東京の四谷区民ホールで催したコンサートのライヴ録音で、全体にわたりリピートを丹念に行ってるため、CD1枚ぎりぎりの79分58秒を要している。主題の〈アリア〉を一聴してまず感じることは、高橋望が虚飾や野心のない、誠実な心情をもってこの作品に接していること。デリケートな漸強、漸弱の呼吸、つまり現代ピアノにおいて可能な表情性をはっきり意識して活用していること。以下につづく諸変奏においても、そのような演奏上の特色は一貫して変わらない。濁りのないタッチが、きわめて明確な美しい音像を描き出すことも言わねばならない。各変奏ごとの表情づけはよく勘考されているが、テンポの設定も含めてけっして極端に走ることはない。ある変奏が速すぎる、と感じさせるケースはなく、逆に遅すぎると思わせるケースもない。装飾はリピートにおいても行うことなく、おおよそすべてが「譜面通り」に弾かれる。が美しい音楽を聴いている、という実感がつねにある。高橋望が、節度のうちで、作品をまるごと歌い抜くからだ。 那須田務氏 ピアノでバッハを弾く人が増えた。とくに若い人が弾くのを見ると嬉しい。どうしても派手な見せ場のあるロマン派や近代に関心が向きがちだからだ。今回の高橋望のようにドイツのドレスデンに学んで帰国し、積極的にバッハに取り組んでいるのは心強い限り。これはその高橋の≪ゴルトベルク≫。 <アリア>は入念に磨かれたタッチでフレージングは整えられている。第1変奏は中庸のディナーミクで弾かれ、繰り返しで一段音量を下げ、任意な装飾を積極的に入れる。もちろんタッチは短く、基本となる8分音符のテンポが一定。そこに愉悦に満ちたビート感が生まれる。そのうえ響きの制御が巧みなのでテクスチュアの透明度は高い。第2変奏はぽつぽつした左手の伴奏とよく歌う旋律がきれいに弾き分けられる。同度のカノンの第3変奏は、主題の弾き出しが明快。第6変奏は順次進行の下降の主題だが、この場合滑らかなアーティキュレーションで弾くのはバロックの常識。高橋はそれを自明のように行い、よく歌う。後半の音の密集する難所も勢いがある。どこかおっとりとしたクオドリベットが面白い。このようにごく自然にバッハの様式を自らのものとし、涼やかなタッチと洗練された音楽性で弾いている。後は唯一無二の個性と音楽の深みだが、それはきっとこれから。実は、なんとこれは今年1月31日に四谷区民会館で行われたライヴ録音、精度が高いのでしばしばライヴであることを忘れてしまうほどなのだ。 ●録音評~レコード芸術2015年9月号 2015年1月のライヴで、聴衆のノイズや気配に邪魔されることなく十分なSN比でクリアに聴かせ、ライヴの証のように十分な間を取って盛大な拍手が入る。距離感やピアノのサイズも自然で、ベーゼンドルファーらしい図太さや明瞭な骨格感を聴かせる。

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